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大躍進政策
1949年、10月1日中華人民共和国成立を宣言。宣言したのは人民解放軍の毛沢東でした。憲法は出来たものの、中華人民共和国は共産党の指導の下にありました。つまり、憲法の上に共産党があるのです。 中国共産党の下に憲法があり、その下に行政機関があるのです。 1950年、国を宣言した翌年、革命を・・・と、労働者が資本家を公開処刑します。それぞれの土地で、共産党に逆らうと殺されるのです。その数70万人。殺されなかった人も、強制収容所に入れられ、労改(思想を改造する)させられます。このシステムは慣習として今も残っています。 毛沢東は色々な仕組みを作ります。 農業生産の拡大を図るため・・・ @戸籍制度を設けます。農村と、都市、二つの戸籍を設け、農村の人間は都市の戸籍を変えることは出来ません。が、最近ではゆるくなってきています。 農村出身者が、一生懸命勉強をして大学に進み、優秀な成績を修め都市の企業で就職したら都市の戸籍がもらえるようになりました。だから、みんな死に物狂いで勉強するのです。 A档案-調書が作られます。これは、自分は見ることが出来ません。が、自分の祖先、階級、自分の経歴、どういう思想なのか、全て書かれていて、国民がコントロールされています。 そんな中、1957年毛沢東は「百花斉放・百家争鳴」という政策を打ち出します。 これは、色々な人が自由に意見を出して、国家を良くしていこうという政策です。 「批判してもいい」と、圧力をかけます。そんな時に言えるのは知識人です。知識人たちが恐る恐る言い出しましたが、それがエスカレート。共産党そのものの批判まで飛び出します。 その4ヵ月後、この批判は行き過ぎているとし、「反右派闘争」11万人が投獄、55万人が都市から地方へ追いやられたと言われています。この件に対しては、歴史的評価が分かれています。 その後も、「右派(資本主義)は、5%程度だろう」と、毛沢東が言うと、反政府勢力を5%追い出さなくてはならない!!と、役人にはノルマになってしまいました。全国で5%の人間を摘発し、追放するということが起きました。うっかり批判すると、右派と言われかねません・・・。 1958年、大躍進政策をとります。これは、一刻も早く社会主義化しようというものでした。 農業では、ソ連の農業の集団化を模しました。 「人民公社」を作り、ここで集団で農業をする。全員で一緒に共同生活をするのです。農民達は、今まで自分たちのだった「牛・ブタ・鶏・土地・農機具」が人民公社のものになってしまう!!と、牛・ブタ・鶏を食べてしまいました。これで家畜は姿を消しました。 集団生活なので、一緒に寝泊りし、共同食堂で食べます。いくら食べてもいいのですから、食べたほうが勝ち!食べ過ぎて、食料の消費量が莫大な量になります。給料は同じにもらえるので働かなくなり、農業生産が激減します。 米を食べるすずめの退治を全国で一斉にしましたが、このことですずめが激減し、害虫が大量発生、農業の深刻化に拍車がかかります。 おまけに、農地深耕といって、土地を数mにわたって掘り起こし、その斉で表土が失われ、農地は栄養を失い枯れていきます。また、稲の密植を行い、水はけも、風通しも悪くなり、次々に農業生産高は激減します。 そこで、農家の応援団も展開します。ちなみにこれは、北朝鮮では今も行われています。 工業では、イギリスに追いつけ追い越せ!!をスローガンにします。当時はイギリスが鉄鋼業の第一位でした。 1957年鉄鋼生産高 535万トン 倍以上にしよう! 58年 1070万トン 倍以上にしよう! 59年 2140万トンにしよう! イギリスでは巨大な鉄工所がありましたが、中国には無く、みんなが手作りしたらいい!!と、全国60万ヶ所に鉄を作る施設を作り、農民が、農村地帯で、土法高炉で、製鉄を始めました。農業はおろそかになってしまいます。 みんなが毛沢東のいうノルマの達成に必死になります。高炉は1日中火を入れています。農業は出来ません。しかも、近代的な工場だからこそ質のいい鉄が出来るのですが、農民の作る鉄は、品質が悪くてものにはなりません。 が、「いい鉄が出来た」と報告します。毛沢東の絶大な権力の下、全国一斉にゴマをすり、お伺いをたてるのです。毛沢東が鉄道に乗る、となると、農業ほったらかしなのがばれないように、鉄道の脇に稲を植え替えたりしました。そうして、虚偽の報告が上がってくるようになり・・・。毛沢東は裸の王様になってしまいました。 鉄はまだまだ作らなければなりません。鉄鉱石は手に入りません・・・。とりあえずの鉄、農機具を高炉に入れて溶かしてしまいます。ノルマは達成しますが、農村地帯から農機具がなくなってしまいます。火を焚いているので山の木もなくなりはげ山になってしまいます。そうして、保水力がなくなり、洪水が多発、農村地帯は壊滅してしまいました。 全国で飢饉が蔓延し、飢え死に、餓死者の数はわかりません。が、1979年毛沢東の死後、大躍進政策の結果を共産党が調べたデータによると、4300万人から4600万人が餓死したことになっています。 しかし、毛沢東は当時、大成功と発表しました。これを真に受けたカンボジアのポル・ポト、アフリカではアンゴラ、モザンビーク、エチオピア、ソマリアが同じことをしました。 ソマリアでは今、無政府状態になっていますが、元をただせばこの大躍進政策を真似し、干ばつ状態、慢性的な飢餓が続き、内戦状態です。1月〜7月のあいだに、乳幼児29000人が餓死したと言われています。 |
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