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中日友好のハネムーン期   c

1970 年代末―1980 年代は、中国と日本の友好のハネムーン期で、中国人はむさぼるように戦後日本の先進的な技術を学び、大衆は始めて戦後の日本というイメージを思い知らされたのです。この時期代表的な日本大衆文化は、政府間の文化交流による、劇場で上映する日本映画、国営のテレビ局で放送されるテレビドラマやテレビアニメ、そして日本から輸入したカセットレコーダーによって普及される流行歌、新しい文学ジャンルとして大量に翻訳された推理小説です。

この時期に中国の大衆に最初の日本ブームをもたらしたのは政府間の文化交流の一環としての日本映画週間です。1979 年、『君よ憤怒の河を渡れ』「人間の証明」『望郷――サンダカン8番娼館』『キタキツネ物語』「絶唱」などが1979 全国上映されたあと、高倉健、中野良子、栗原小巻、田中邦衛、原田芳雄旋風が吹きまくりました。その記憶は今日までも鮮明に多くの当時の観客の脳裏に焼き付けられ、戦後日本の新しいイメージを伝えてくれました。

『君よ、憤怒の川を渡れ』のなかの、高倉健と中野良子の無垢(むく)の愛は、恨みや裏切りがはびこる文化大革命の悪夢から覚めたばかりの中国の人々にとってうらやましい手本でもありました。ヒロインの真由美は多くの中国人に「真优美」と呼ばれたのは決して単純な誤読ではないのです。高倉健によって、いわゆる「長身にして無口な男」というのが、一時、中国の若い女性の憧れの「理想的男性像」となりました。

高倉健と中野良子だけでなく、『君よ、憤怒の川を渡れ』のなかで脇役として好演した田中邦衛や原田芳雄も大人気を呼び、田中が演じた役の名前(横路敬二)が当時の漫才師によって、間抜けの代名詞とし流行語になったようになりました。また、原田芳雄が演じた刑事矢村は、そのヘアスタイルやサングラスを持って、当時の少年たちを魅了しました。











もともと中国の芸術家だけを取材相手とする CCTV の看板番組「芸術人生」は、2002 年と2003 年には例外にも栗原小巻と中野良子のためにスペシャル番組を企画しました。現場の感動は当時とすこしも変わりがありません。2005年東京映画祭で特別上映した張芸謀監督の『千里、単騎を走る』は、30 年前の超人気スター高倉健への敬礼とでも理解できると思います。

 テレビ番組の輸入も中国人に大きな影響を与えています。『燃えろ、アタック』『赤い疑惑』『おしん』などは戦後日本の新しいイメージを届け、幾世代の中国人に影響を与えてきました。。
特に、三浦友和と山口百恵の共演した「赤い疑惑」というドラマは中国の多くの30代、40代に忘れられないドラマです。20年前の中国は改革開放を始めたところです。単調な革命や戦争に関する映画などに飽きった人々は「赤い疑惑」に熱を上げたのでした。山口百恵、三浦友和は大変な人気を呼び、「国民的」なアイドルになりました。 山口百恵は中国人にとって未だに人気が衰えない人気女優です。




また、『燃えろ、アタック』の放送は小鹿純子の純真で可愛いイメージは多くの人々の記憶に焼き付けられたのです。2002年11月、南京の紅山動物園は市民たちにキリンの子どもの名前を募集したが、「純子」が圧倒的な人気で当選しました。成功する作品が残す持続的な影響はこのような例からうかがわれます。







テレビアニメの分野において日本影響は大きかったです。1979 年、CCTV 手塚治虫の『鉄腕アトム』を放送しました。その後、『ジャングルの大帝』も放送されました。『鉄腕アトム』と『ジャングルの大帝』からは、反核、平和主義など時代の意識が鮮明に読み取れます。
アトムについで『花子ルンルン』『一休さん』などが中国で放送され、今の20代から40代に至る中国人はそれらのキャラクターと成長をともにしてきたとも言えるでしょう。

80 年代テレビで放送される日本アニメの受け入れ方の一つの特徴は、当時大人も子供もみな熱心なファンでした。『鉄腕アトム』の主題歌は中国語に立派に翻訳され、小学校で愛唱されていました。だから「ららら科学の子」は40代の中国人にとっても懐かしいメロディだったのです。それは、アトムが見せる科学を愛する精神が、ちょうど当時中国でもよく読まれていたSF小説「未来を漫遊する小霊通」と重なったからです。ちなみに、今中国の携帯電話の領域で活躍している中国版のHPSは、「小霊通」という愛称で呼ばれています。

この時期に「北国の春」は従来の「ソーラン節」にとってかわり、中国人が日本人とカラオケで交感する場合に必ず歌う曲です。代わりに日本側が必ず歌うのは中国映画『海原の呼び声』の主題歌「海よふるさと」です。このように、日本の東北の広々とした大地を賛美する歌「北国の春」と中国の船乗りがふるさとへの思いを表す歌「海よ故郷」はそれぞれ相手の国を想像する代表格の歌になりました。

高倉健、栗原小巻、中野良子、山口百恵、三浦友和旋風が戦後日本という新しいイメージを1970 年代末に中国にもたらし、戦後の日本ということを、多くの人々が考え始めたのです。同じ時期に中日友好を賛美する中国映画や中日合作映画が作られました。1979 年に撮られた『櫻――サクラ』では、中国映画で初めてタイトルに外国語が用いられた。中国に置き去りにされた日本の戦争孤児の問題に初めて触れ、なおかつ中日の経済や技術合作を歓迎した作品であります


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